コスプレの誕生

コスプレの誕生

「コスプレ」はもちろん和製英語です。コスチューム・プレイが語源になっていますが、今では「コスプレ」と言う和製英語は「COSPELAY」として英単語にもイギリスの辞書に載っているほど、世界共通の言葉になっています。すごいことです。日本初の文化が今では世界中にまで広がっている「コスプレ」のワールドワイドな広がりを感じます。

コスプレがどのように発展していったのでしょう。10年~15年ぐらい前なんてものではなく、何気にコスチューム・プレイの歴史は長いようですよ。ハロウィン時代から仮装する歴史があるアメリカで、ごく自然に仮装が広まった?!のでしょうか?!

コスプレその歴史

アメリカの歴史の中で1966年に始まったSFテレビドラマ「スタートレック」の存在があります。そして「スタートレック」に登場するようなSF作品に登場する仮装大会が1960年代の後半頃からアメリカで始まっていました。そして世界SF大会ワールドコンテストの影響を日本が強く受けることになりました。そして開催されたのが、日本のSF大会でコスチューム・ショーとしてSF大会に組み込まれるようになります。コスチューム・ショ-として取り入れられたのはアメリカと同じく1960年代後半から1970年には既に取り入れられていますが、その中でも昭和49年(1974年)の京都で開催された日本SF大会でコスチューム・ショーはショーアップされます。そしてこの大会の翌年から定着したと言われています。

第17回日本SF大会

昭和53年(1978年)に第17回日本SF大会が、神奈川県芦ノ湖で開催されました。そしてその仮装パーティでファンタジーサークルの「ローレリアス」が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』の表紙イラストを真似たコスチュームで参加します。このファンタジーサークルの中に参加しているのは、現在SF&ファンタジー評論家の小谷真理さんや小説家のひかわ玲子さんです。もちろんこの日本SF大会に参加したときは、ひとりのファンとしての参加です。

そして表紙イラストのコスチュームで参加してました姿を見て、他の参加者が『火星の秘密兵器』だと思わずに手塚治虫のマンガアニメの『海のトリトン』だと勘違いをしてしまいます。『海のトリントン』ではないですよ~と特に否定していないので、「トリントン」が日本のコスプレ第一号だといわれているのが、そんな理由からです。単なる勘違いから始まっていますが、コスプレをして参加したことは間違いないので、日本のコスプレ第一号は小谷真理さんだといわれています。

そしてこの大会以降も、日本SF大会ではコスプレのコンテストが行われていて、だんだん定着していきますが「コスプレ」というSFやファンタジーの世界の架空の人物になりきってしまう。ということは、活字ファンばかりだったSFファンの中では、当時かなり珍しい存在でした。時代も昭和51年なので、日本の街には『およげ!たいやきくん』や『た・た・たのしいサンデー♪』が流れる時代です。まだコスプレは本当に少数派。おまけにアニメもキャンディ・キャディやドカベンといった子供向けばかりが主流の時代。そこでSF&ファンタジー好きは活字で楽しむか方法がなかった時代に、SFの架空の人物になりきってしまうというのは、とても少数派です。

そしてとても少数派なだけではありません。活字でSFを楽しむファンがほとんどのSFファンの中でコスチュームを着るというのは、異端児的な扱いをされていました。同じSFファンでありながらも、活字でSFを読むファンとはちょっと違うというあくまでも小数派にとどまっていました。ところが、SFってなに??ちょっと気になるけど、そこまで詳しくないから・・と、SFのコミュニティは参加したくても参加しにくいという、ハードルの高いコミュニティだったのですが、コスチュームをまとうことで「参加してみたかったんだ。」というちょっと軽めのSFファンも「コスチューム」着用することで分かりやすい形でSFファンのイベントに参加しやすくなり、「ちょっとした覗き見」程度だったライトファンを取り込んでいくことになりました。

コスチュームプレイ

そしてSFの世界から、同人誌の即売会などでもコスプレするのはごく当たり前にになっていますが、かつてはただ単に「アニメの仮装」と呼ばれていました。コスチュームプレイといわれるようになったのは、「同人誌即売会コミックマーケット」通称、コミケやコミケット代表者の米澤嘉博さんを中心したメンバーでした。ちなみに米澤さんは通称「米やん」とも呼ばれる日本オタク大賞審査員などもつとめた「おたく四天王」のひとりです。

アニメやマンガのコスプレが登場する以前のコミケの場では、ロック系のファンが自分の好きなロック系のコスチュームを着たりすることもありましたが、まず前述の『海のトリトン』のコスチュームを着た少女が登場して注目を集めます。そしてその次の回には『科学忍者隊ガッチャマン』のコスプレが登場します。そのようにしてコスチュームを着て参加することが、次第に広まっていきました。。

おたく四天王のひとりの米澤さんは、コミケットの代表者でもありますが、日本のメディアではアニメ雑誌などが、同人誌即売会に関連した内容の中で、「コスプレ」を少しずつ取り上げ始めたました。そして「コスプレ」を特に大きく取り扱ったのは、ラポート発行の1980年8月号(昭和55年)『ファンロード』創刊号です。『ファンロード』で取り上げたのは、その当時、原宿を席巻していたタケノコ族をもじって【原宿にコスプレ集団の「トミノコ族」が現われた!】として「特集記事」を掲載しました。

ちなみにこのタケノコ族をもじった「トミノコ」ですが、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季監督に由来したもので、特集記事には『機動戦士ガンダム』の登場人物に扮した人や、モビルスーツ・ガンダムの仮装をした人々が踊っている写真が掲載さています。ちなみに実際には、当時そのような「トミノコ族」はいませんでしたので、報道記事の体裁を採った『機動戦士ガンダム』の映画を宣伝するための企画でした。

コミケから話題になる

昭和60年(1985年)になると、テレビ局のTBSがテレビ番組でコミケを取材に入ります。そしてそこでは、多くのコスチューム・プレイヤーに取材を行ないました。またテレビで時代は平成に入り平成元年の1989年には、テレビ番組『はなきんデータランド』という番組がありましたが、この番組ではアニメランキング特集をしたときには、コスプレランキングも発表していました。この『はなきんデータランド』はテレビ朝日系で平成元年の1989年から、平成7年の1995年まで放映されていました。

テレビ取材がコミケに入ったこの時期には、同人誌界でとても大人気だった『キャプテン翼』のコスプレが、一気に増えますがこれはTシャツの改造をユニフォームショップに注文するだけという手軽さから一気に拡大します。そして昭和61年(1986年)になると、ひとりでのコスプレではまくチームといった集団で行なうコスプレが登場したといわれていて、時を同じくしてコスプレを撮影するアマチュアのカメラ小僧と言われる人々が現れました。

コスプレを楽しむ人口が増えた一方で、昭和63年(1988年)頃からは、同人誌の即売会でのコスプレは、写真撮影のために混雑したり、そしてマナー違反な人たちも増えただけではなく、コスプレする側も過度な露出をしたりといったことから、コスプレを禁止にするイベントも増えていきました。

ではハロウィンで仮装文化が基本的に根付いている(笑)アメリカではどうだったのでしょう?!1970年代後半になると、SF映画の前述もでもご紹介した『スター・ウォーズ』の大人気と大ヒットで、コスプレはポピュラーになります。そしてアメリカでは今や、日本のアニメが高い人気ということもあって、アメリカ全土で行なわれるようになっているアニメコンベンションといったイベントでは、日本の漫画やアニメのキャラクターに扮する光景が見られるようになっています。そしてアメリカでは従来のmasquerade(マスカレイド:仮面舞踏会)と呼ばれているのではなく、和製英語のcosplay(コスプレイ)という呼び方で呼ばれています。